先輩が説明しています。手元にはメモ帳とペン。書こうとした瞬間、もう次の話が始まっています。「えっと」と思っている間に、三つ目の話題です。
気づけば、単語がいくつか散らばっているだけのメモが残ります。何がどう繋がっていたのか、自分でも読み取れません。「はい」と相槌だけは打ち続けます。止まったら、また最初から説明してもらうことになるからです。
その日の帰り道、考えます。メモが下手なんだろうか。それとも、自分の頭が悪いんだろうか。
この記事で渡したいものは、ひとつだけです。その場のメモは、文章にしない。単語と数字だけ拾う。清書は、あとでいい。
迷ったときは、こう言っていいです。「あとで整理するので、今は単語だけ書かせてください」。サボっているように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。理由は、この先に書きます。
メモは、その場で完成させなくていい
たぶん今は、こう思っています。あとで読んでもわかるように、ちゃんとした文で書かないといけない、と。
それを、いったんやめます。その場で書くのは、単語と数字だけでいいです。「明日」「A社」「15時」「見積書」。助詞も、文の形も要りません。
文章に整えるのは、あとに回します。同じ日の終業前に五分。単語だけのメモを見返しながら、意味の通る形に書き直します。書く作業を、その場の「拾う」と、あとの「整える」の二段階に分けるだけです。
たくさん書くこと自体は、悪いことではありません。「メモを取りすぎ」だと言われて気にする人もいますが、量の問題ではないです。問題があるとすれば、その場で完成させようとする姿勢のほうです。単語を拾うだけなら、量が多くても負担は増えません。
略し方は自己流でかまいません。「◯◯さんに確認」は「◯◯確認」でいいですし、日付や金額はそのまま数字だけ書けば十分です。あとで自分が読めれば、それで完成です。他人に見せるための清書ではなく、清書前の自分専用のメモだからです。
なぜこれでいいのか。次の章に書きます。
聞きながら全部は書けないのは、能力の問題ではない
書く速度は、話す速度の十分の一しかない
人が話す速さは、一秒あたりおよそ二〜三語。対して、手で書く速さは、一秒あたり〇・二〜〇・三語ほどしかありません(Foulin, 1995/Piolat, Olive, & Kellogg, 2005)。差はおよそ十倍です。
つまり、話されたことを一言一句書き取ることは、最初から物理的に不可能です。十秒しゃべられただけで、二十〜三十語が飛んできます。それを全部拾おうとすれば、書く手のほうが先に破綻します。「全部は書けなかった」というのは、あなたの失敗ではありません。誰がやっても不可能なことに、挑んでいただけです。
聞くことと書くことは、頭の同じ場所を取り合っている
メモを取るという作業は、「聞いて理解する」と「書いて記録する」を同時にやる必要があります。この二つは、脳の中で同じワーキングメモリの資源を取り合います。実際に、二つの作業を同時にさせる実験手法で調べると、メモを取ることは、ただ読むことや、そのまま覚えることより、多くの認知的な努力を必要とすることがわかっています(Piolat et al., 2005)。
「話を聞きながら手が動かない」「書くのに気を取られて、話の中身が頭に入ってこない」——これは、注意力が二つの作業を同時にさばききれないという、人間の情報処理そのものの話です。
「向いていないのでは」と疑う前に
同じ悩みを持つ人が、こう書いていました。「話を聞きながらメモを取る事が出来ません。もうずっとやってるのに未だに出来ないって事は、もうそういう脳の障害であり出来るようにはならないのでしょうか」。
この記事は、その判断をする場ではありません。ただ、ひとつだけ言えることがあります。聞くことと書くことを完全に同時進行でこなすのは、障害の有無を判定される前に、誰にとっても難しい作業だということです。できないことに、まず自分を責める必要はありません。
要点が分からなくなるのは、文章にしようとするから
「話の要点がどこかわからず、どこをメモすればいいのかわからない」。書くことに集中すると、今度は話の中身が頭に入ってこない。こういう悩み方もあります。
これも、無理はありません。文章として整った形で書こうとすると、「何が重要か」を選ぶ作業と、「書く」作業を同時にやることになります。前章の通り、この二つは同じ資源を取り合っています。両方を同時に頑張るほど、どちらも中途半端になります。
選ぶのを、あとに回します。その場では、聞こえた単語や数字を、重要かどうか判断せずにとにかく拾う。手順を教わっているなら、動詞と対象だけを並べます。「開く」「入力」「保存」。それが重要な手順なのか、ただの雑談なのかは、その場では決めません。「これは重要かどうか」を考える作業は、清書のときにまとめてやります。その場でやることを減らせば、書く作業に使える余力が増えます。
「今は単語だけ書かせてください」と言っていい
新人職員の投稿に、こういうものがありました。「教えてもらいながら作業をするので全部はメモしきれません」。そして、こう続きます。「その時間があったら仕事ありますか?と思われているのでしょうか」。
前章までの話を踏まえれば、答えは出ています。追いつかないのは当然です。だから、「一度止めてもらってもいいですか」「あとで整理するので、今は単語だけ書かせてください」と言っていいです。電話の取り次ぎなど止められない場面では、「要点だけ復唱してもいいですか」と一言添えるだけでも、拾い漏れはかなり減ります。
気にしすぎなくていい理由は、もうひとつあります。この投稿への回答の多くは、「一生懸命メモしてる姿はとても好感が持てる」というものでした。待ってもらうこと自体は、思っているほど嫌がられていません。嫌がられるとすれば、メモを取っているふりで手が止まっているときだけです。単語を拾う手が動いていれば、それは伝わります。
取ったメモが機能しないのは、清書の時間を決めていないから
「メモを確認しながらやっても毎回見落として忘れてしまい、本当に自分が怖いです」。これも、実際にあった投稿です。
単語だけのメモは、拾った直後は意味がわかっても、数日たつと自分でも読み解けなくなります。清書という後工程が実行されていないと、二段階の仕組みは半分しか機能しません。「あとで見返す」を漠然と決めているだけでは、結局見返さないまま次の指示に埋もれてしまいます。
だから、清書の時間そのものを、決めておきます。その日の終業前の五分。その日拾った単語だけのメモを見返し、意味の通る文に直します。「決めておく」だけで、実行される確率が上がります。これは、その日一日の記録を残す話にも通じます。評価のときに成果を思い出せないで書いたのは一年後の評価のための記録でしたが、本記事の清書は明日の業務のための記録です。目的は違っても、終業時に外部記憶を整えるという形は同じです。
なお、清書したメモを見ても同じ場面で見落としてしまうなら、それはメモの取り方より先に、確認する手順そのものを見直したほうが早いこともあります。その場合は仕事のミスを減らす方法のほうが役に立ちます。
メモが下手なのではなく、やり方が一段階だっただけ
——今までのあなた。話を聞きながら、文章として整った形で書こうとする。追いつかない。焦る。あとで見返すと、意味の繋がらない単語が並んでいる。メモが下手だと思う。
——二段階に分けるようになった、これからのあなた。その場では単語と数字だけを拾う。追いつかないところは、「今は単語だけ書かせてください」と言う。終業前の五分で、その日のメモを文に直す。
書く速さは、話す速さの十分の一しかありません。これは、あなたに限った話ではなく、人間の書字という行為そのものの制約です。その制約の中で、一段階でやろうとするか、二段階に分けるかだけが違います。
メモが取れないのは、センスの問題でも、能力の問題でもありません。やり方が、そもそも無理な設計になっていただけです。
「メモを取らない新人は出世しない」という言い方をよく見かけますが、この記事が向き合っているのはその逆です。取ろうとしているのに、うまくいかないと悩んでいる人のほうです。一段階を二段階に分けるだけで、その悩みの大部分は解けます。
参考文献
Piolat, A., Olive, T., & Kellogg, R. T. (2005). Cognitive Effort during Note Taking. Applied Cognitive Psychology, 19(3), 291–312. https://doi.org/10.1002/acp.1086
