15時。今日やったことを、頭の中で数えてみる。メールを2通。あとは、座っていた。
時計を見る。15時4分。さっき見たときから、4分しか進んでいません。
周りではキーボードの音が鳴り続けています。誰かが電話を取り、誰かが会議室へ歩いていく。その音の真ん中で、自分だけが何もしていない。
「帰りたい」
そう思った瞬間に、もうひとつの声がかぶさってきます。——こんなことを思う自分は、怠けているんじゃないか。何もしていないのに、今日ぶんの給料をもらっていいのか。
仕事が暇すぎてつらいのは、時間が長く感じるからだけではありません。この時間、自分は仕事をしていることになるのか。それが自分でもわからないからです。何もしていない時間の分だけ、後ろめたさが積もっていく。
この記事で渡したいものは、ひとつだけです。「手伝えることはないですか」を、上司の手が空いた瞬間に言う。言う言葉は変えません。変えるのは、言うタイミングだけです。
言う言葉ではなく、言う瞬間のほうを変える
やることはシンプルです。
上司に伝える言葉は、いつもと同じで構いません。「手伝えることはないですか」「手が空いています」。この一言でいい。
変えるのは、それを言う瞬間です。上司が、ひとつの作業を終えた直後を狙います。
具体的には、こういう瞬間です。
- キーボードを打つ手が止まって、保存して、背もたれに体を預けた
- 電話を切った、あるいはオンライン会議のウィンドウを閉じた
- 席を立った、または席に戻ってきた
- 紙をまとめてトントンと揃えた
逆に、避ける瞬間もはっきりしています。キーボードを打ち続けている。画面を凝視して眉間にしわが寄っている。書類と画面を何度も往復している。——このときは、声をかけません。次の区切りを待ちます。
そして、これがいちばん大事なところです。声をかけて「今は大丈夫」と返ってきても、それで終わりにしない。失敗したのではなく、その瞬間ではなかっただけです。次の区切りで、また同じ一言を言います。
なぜ、言葉ではなくタイミングなのか
理由①:待っている時間は、もうあなたの労働時間になっている
先に、後ろめたさのほうを片付けます。
厚生労働省が出している「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」には、労働時間として扱わなければならない時間が3つ挙げられています。その2つ目が、これです。
「使用者の指示があった場合には即時に業務に従事することを求められており、労働から離れることが保障されていない状態で待機等している時間(いわゆる『手待時間』)」
読み替えると、こうなります。指示が来たらすぐ動くことを求められていて、その場を離れる自由がない。その状態で待っている時間は、労働時間だ。
自席で次の指示を待っている時間は、まさにこれです。手は動いていない。けれど、勝手に帰ることはできないし、声をかけられたらすぐ応じなければならない。
同じガイドラインには、こうも書かれています。労働時間に当たるかどうかは「労働契約、就業規則、労働協約等の定めのいかんによらず」、指揮命令下に置かれていたと評価できるかどうかで客観的に定まる。つまり、誰かが「今日は暇だったね」と言うかどうかとは関係なく、決まっている、ということです。
労働基準法は、休憩時間についてはまったく別の書き方をしています。第34条第3項——「使用者は、第一項の休憩時間を自由に利用させなければならない」。法律が線を引いているのは「忙しいか、暇か」ではなく、「その場を離れられるか、離れられないか」です。自由に離れられない時間は、休憩ではありません。
だから、あなたは時間を盗んでいません。そして「手伝えることはないですか」と聞きに行くことは、点数稼ぎでも甘えでもなく、その労働時間の中でできる仕事のひとつです。
理由②:つらいのは、やりたいのにできないからだ
それでも、暇な時間はしっかり消耗します。これも気のせいではありません。
退屈という状態を心理学の立場から定義し直した論文があります。イーストウッドらは、複数の理論を突き合わせたうえで、退屈をこう表現しました。「満足のいく活動に取り組みたいのに、それができないという、不快な経験」(Eastwood, Frischen, Fenske & Smilek, 2012)。
ここで注目したいのは、退屈の定義に「やりたい」が入っていることです。退屈は、やる気がない状態ではありません。やりたい気持ちがあるのに、それが行き止まりになっている状態を指しています。
つまり、暇な時間がつらい人ほど、働きたい人だということになります。怠けたい人は、暇でつらくなりません。
そしてこの定義は、手の打ち方も教えてくれます。行き止まりになっているのは「気持ち」ではなく「行き先」のほうです。気持ちを立て直そうとするより、行き先を取りに行くほうが早い。だから、声をかけに行くのです。
理由③:渡す側にも、余裕がいる
ではなぜ、同じ一言なのに、仕事をもらえる日ともらえない日があるのか。
私自身、配属直後に同じ言葉を何度も上司に言いました。結果は、きれいに割れました。もらえた日と、もらえなかった日がある。そして割れ方には、規則性がありました。相手が忙しくて、他のことを考えられなさそうなときは、だいたいもらえませんでした。
ここから先は、私の推測です。上司に「なぜあのとき断ったんですか」と確認したわけではありません。それでも、こう考えると筋が通ります。——仕事を渡すという行為には、渡す側の時間が要る。何のための作業か、どこまでやるか、いつまでか。それを説明するあいだ、上司は自分の作業を止めることになります。渡すほうが、いったん損をする。だから、余裕がない瞬間には渡せない。
これが本当なら、断られたことはあなたの評価ではありません。あなたの価値ではなく、相手の手の空き具合が答えていただけです。そして手の空き具合は、時間が経てば変わります。だから、変えるべきなのはタイミングでした。
私の場合|同じ一言で、もらえたり、もらえなかったり
少し、私自身の話をさせてください。
配属された直後のことです。オフィスにいるのに、任された作業がありませんでした。それが数週間続きました。
私は黙って座っていることを選ばず、上司に伝えました。「手伝えることはないですか」。
結果は、もらえたり、もらえなかったりでした。同じ相手に、同じ言葉で聞いているのに、返ってくるものが違う。しばらくして気づいたのは、違っていたのは私の言い方ではなく、声をかけた瞬間だったということです。相手が忙しくて他のことを考えられなさそうなときは、だいたい何も出てきませんでした。
その数週間は、劇的な出来事で終わったわけではありません。自分の担当が決まって、終わりました。暇な時間は、私が有能になったから終わったのではなく、席が決まったから終わった。それだけのことでした。
だからこそ、あの数週間を「無駄だった」とも思っていません。担当が決まるまでのあいだ、私は何度も声をかけに行った側の人間で、座って待っていただけの人間ではありませんでした。
時計を見る回数が、減っていく
——今までのあなた。
15時4分。誰にも話しかけられないまま、画面の端の時計だけを何度も見ている。忙しそうな上司の背中を見て、声をかけるタイミングを探しては、やめる。今日も何も言えなかった、と思いながら定時を待つ。
——上司の手が空いた瞬間を狙うようになった、これからのあなた。
画面ではなく、上司の手元を見るようになります。打鍵が止まった。保存した。体が背もたれに戻った。——今だ。
「今、手が空いています。何か手伝えることはないですか」
「じゃあ、この資料の数字だけ確認しておいてくれる?」
たったこれだけで、午後の残りが変わります。何も出てこない日もあります。それでも、時計を見る回数は確実に減っていきます。見る対象が、時計から人の手元に変わるからです。
「でも、暇だと知られたら、雑用ばかり回されるようになるんじゃないか」——そう思うかもしれません。けれど、雑用が回ってくる状態は、少なくとも「誰からも声がかからない状態」より前に進んでいます。そして雑用かどうかは、渡されたあとに自分で確かめればいい話です。
今日の午後、上司が席を立つ瞬間は、たぶん一度は来ます。そのときに一言。それだけで十分です。
帰りたい気持ちは、あなたの怠けではない
仕事が暇すぎて帰りたい。その気持ちは、仕事から逃げたいという意味ではありません。やりたいのに、行き先がないという意味です。
そして、行き先がないあいだの時間も、あなたの労働時間です。その場を離れられない以上、待つことも仕事のうちだと、国が文書で書いています。
だから明日、やることはひとつだけにしてください。上司が席を立つか、打鍵を止めるか、電話を切るか——その一区切りを、一度だけ狙って声をかける。
断られたら、それはあなたの評価ではありません。相手の手が、まだ空いていなかっただけです。時計ではなく、人の手元を見てください。時間は、そちらのほうが早く進みます。
暇な時間に何をするかを先に決めておきたい人は、仕事が暇すぎてつらい|その時間を味方にする過ごし方もあわせてどうぞ。こちらは、声をかける前に自分で作れるものの話です。
逆に、声をかけたら仕事が集まりすぎてしまったときは、とっさに仕事を振られそうになった|引き受けるかは、一人で決めなくていいが役に立ちます。
在宅勤務で手が空いたときは、在宅勤務で仕事が暇なとき|罪悪感より先に、”次にやることリスト”を決めておくが役に立ちます。
参考文献
厚生労働省「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」(平成29年1月20日策定)|PDF
労働基準法(昭和22年法律第49号)第32条・第34条|e-Gov法令検索
Eastwood, J. D., Frischen, A., Fenske, M. J., & Smilek, D. (2012). The unengaged mind: Defining boredom in terms of attention. Perspectives on Psychological Science, 7(5), 482–495. https://doi.org/10.1177/1745691612456044

