「また同じことを聞いてしまった」
そう思った瞬間、少しだけ気まずくなります。相手の顔に「それ、この前も説明したよね」と書いてあるように見えて、次からは聞きづらくなる。
それでも仕事は進めなければいけないので、あいまいな記憶のまま手を動かす。そして、ミスをする。
このループに入ると、原因は一つしか見えなくなります。
「自分は、この仕事に向いていないんじゃないか」
でも、少しだけ待ってください。そのループは、本当に向き不向きの問題でしょうか。
覚えようとするのをやめて、「自分用の手順書」を1つ作る
やることは一つです。覚えられない作業を1つだけ選んで、自分にわかる言葉で手順書にする。
作るのは、会社のマニュアルの写しではありません。自分がつまずいた場所が書いてある手順書です。工程の順番、迷いやすい分岐、前に聞いて教わったこと——自分が次にまた困るであろうことだけを、自分の言葉で並べます。
覚えるのをやめる。代わりに、見れば分かる状態を作る。それだけです。
「そんなの、できる人はメモしなくても覚えているでしょう」
そう思うかもしれません。でも、これには理由が3つあります。
手順書が、向き不向きの判定に変わる仕組み
理由① 覚えることに脳を使うと、判断に回す余力がなくなる
認知心理学では、人が一度に頭の中へ保持できる情報の量には限りがあることが知られています。作業中の情報を一時的に置いておく、ワーキングメモリと呼ばれる領域です。
ここが手順の記憶で埋まっていると、目の前の作業を判断するための余力が残りません。手順を思い出すことに必死で、いつもと違う点に気づけない。ミスは、能力ではなく容量の問題として起きていることがあります。
手順書は、その容量を空けるための道具です。覚えておく仕事を紙に預けてしまえば、頭は判断のために使えます。
理由② 手順書は、能力の低さの証明ではない
外科医のアトゥール・ガワンデは、著書『The Checklist Manifesto』でチェックリストの効果を検証しています。対象は、医療や航空——高度な訓練を受けた専門家が働く現場です。
そこで示されたのは、経験の浅い人だけでなく、熟練した専門家であってもチェックリストによってミスが減るということでした。知識がないから使うのではありません。人間の注意力そのものに限界があるから使うのです。
パイロットは毎回、チェックリストを読み上げてから離陸します。それを見て「このパイロットは向いていない」と思う人は、いないはずです。
理由③ 会社のマニュアルは「教える側の言葉」で書かれている
「会社のマニュアルなら、もうあるけど」——そう思うかもしれません。
ただ、既にあるマニュアルは、その作業を分かっている人が書いています。分かっている人には、初めての人がどこでつまずくかが見えません。だから省略が起きます。「〇〇してから」の一言に、実は3つの動作が含まれていたりする。
あなたがどこで手を止めたか、どこで「あれ?」と思ったかは、あなたにしか分かりません。自分用である必要があるのは、そのためです。
私の場合|作業手順が覚えられず、聞けなくなって、ミスをした
私自身、製造の作業手順がどうしても覚えられなかった時期があります。
最初は、分からないたびに聞いていました。でも、何度も同じことを聞いているうちに、だんだん聞きづらくなってきたのです。「またこれを聞くのか」と、自分でも思ってしまう。
それで、あいまいな自分の記憶のまま作業を進めました。結果は、ミスです。
そのとき私が考えたのは、「もっとちゃんと覚えよう」ではありませんでした。覚えられないものは、覚えられない。だから、工程のフローと手順書を、自分にわかりやすい形で作ることにしたのです。
作ってからは、手順書を見れば作業がわかります。聞かなくて済むようになり、ミスは減りました。
そして、あれだけ強かった「自分にはこの仕事が向いていないんじゃないか」という気持ちは、消えました。向き不向きの問題だと思っていたものは、覚えられない状態をそのままにしていただけだったのです。
同じことを、二度聞かなくてよくなる
——今までのあなた。
「また同じことを聞いてしまった」と気まずくなり、次からは聞けなくなる。あいまいな記憶で手を動かして、ミスをする。「みんな普通にできているのに」と、自分だけが取り残されている気がしてくる。
——自分用の手順書を持つようになった、これからのあなた。
手が止まったら、まず自分のメモを開きます。「ここは先に確認するんだった」と、書いてあるとおりに進める。
「あれ、今日は一度も聞かずに終わったな」
「この工程、もう見なくてもできるかも」
聞かずに済んだ回数が増えるほど、ミスは減っていきます。そして不思議なもので、手順が身についた頃には、あの手順書はもう開かなくなっています。
「でも、手順書を作る時間なんてないよ」
そう思うかもしれません。全部を作る必要はありません。今、一番よく聞いてしまうことを1つだけ。それが3行のメモでも構いません。
聞き直す時間と、ミスをやり直す時間を思えば、3行を書く時間のほうが、ずっと短いはずです。
覚えられないなら、覚えなくていい形に変える
「向いていないかもしれない」と感じるとき、その原因を自分の適性に求めるのは、少しだけ早いかもしれません。
覚えられないことが続いているだけなら、それは覚えなくていい形に変えられます。
今日、一番よく聞いてしまうことを1つだけ選んで、自分の言葉でメモにしてみてください。
向き不向きを判断するのは、そのあとでも遅くありません。
参考文献
- Gawande, A. (2009). The Checklist Manifesto: How to Get Things Right. Metropolitan Books.(邦訳『アナタはなぜチェックリストを使わないのか?』晋遊舎)
- Haynes, A. B., Weiser, T. G., Berry, W. R., et al. (2009). A surgical safety checklist to reduce morbidity and mortality in a global population. New England Journal of Medicine, 360(5), 491–499. doi:10.1056/NEJMsa0810119

